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第3回 バブル世代の苦労話

一歩ずつ、前に進もう 2015/10/10(土) 11:42

こんにちは!水谷弘隆です。月イチの本ブログ連載第3回目は、「バブル世代も苦労した」話です。

 バブルにはバブルの苦労があるの だ。そのようなことをつい口走ると、「失われた世代」「就職氷河期世代」「内定切り経験者」などからは、年長者、仕事の先輩への配慮は込めつつも「自分た ちの苦労は分からないでしょ」「ぜいたくな悩みですよ」という鋭い光線が飛んできます。

でも、「影の部分」にも着目することは、世代を超えたキャリア観を共有するためには必要なことだと僕は思うのです。なので、バブルおやじに対する冷たい目線を承知の上で僕たちの世代が何を経験してきたのかを、今回のテーマといたします。

 僕たちの世代の仕事の環境、やり方、文化、制度など、若い人たちには「昔の話でしょ」で済まされてしまうかもしれませんが、「いま」に当てはめて少し考えながら読んでいただけると嬉しいです。いま振り返って、僕が「損だったなあ」と思うことは3つあります。

 

1. 日本のカイシャは「高度成長期のモーレツ」「昭和の企業文化」を引きずっていた

 僕たちが入社したころの上司(部課長)はまだ「戦前生まれ」「昭和20年代生まれの団塊世代」が多数派でした。「大手優良企業」の中でも僕が勤めていた会社はかなり風通しの良い社風で堅苦しさはなかったのですが、ノリは完全に体育会系。深夜残業、休日出勤は当たり前。営業の現場では「午前1時からミーティング」をやってリーダーが「注意を受けた」ケースも多く(午後9時ぐらいなら問題にもならない)、繁忙期の定休日は最初から「ない」ものとみなされていました(休日出勤するかどうか、の事前確認もなし)。

 本部の管理部門に移っても毎日終電帰りで、2か月間休まず働いたこともあります。月間120時間残業・休出しても、若かったから平気でした。

 男女雇用機会均等法が施行されてまだ間もなく、女性社員は「一般職」「総合職」に区分採用され、「総合職」は珍しい存在でした。今なら問題になる「女の子はお茶くみ、コピー取り」の時代です。

 職場内は禁煙ではなく、喫煙者比率も高かった。僕は最初から非喫煙者なので、外出しない限り、一日中受動喫煙の被害を受けていたことになります(公共交通機関の完全禁煙も移行期だったかもしれません)。

 入社当初は、IT環境皆無で電話、FAX全盛時代。書類も電卓をはじいて定規で罫線を書き、手書きで作成していました。部長など電卓を信用せず算盤で検算していたものです。

 最初からその環境で育った人には実感がわかないかも知れませんが、今は少なくとも、「働く環境」については当時からは考えられないほど快適で便利だし、「働き方」「女性の活躍」「機会均等」については、まだまだ問題は多いものの「ワークライフバランス」の考え方が社会に少しずつでも定着してきているだけ多少は進歩していると思うのです。

 ただ、「上司が、プライベートも含めて部下の面倒をよく見ていた」「社内に人間的なコミュニティーがあった」ことは、今失われてしまった「古き良き時代」として、見直してもよいのかもしれませんね。

 

2. 「大渋滞の最後尾」にはまった

 入社して3年目ぐらいまでは、営業の現場にも「後輩」が入ってきましたが、バブルの崩壊で世の中は「就職氷河期」に入ります。僕たちの上は、かなりの期間「売り手市場」が続いていたので、3、4年上の先輩たちはすでにチームリーダーとして20代半ばにして部下を持つ管理職になっていました。

バブル世代の苦労話

僕たちには「下」がいない。年代が若い営業の現場でもそうなのだから、僕が3年目に異動した本部スタッフ部門はどんな状況だったか。そこでは営業所では所長クラスの15年上の人でも一担当として仕事をしており、自分を除いてほぼ全員が課長代理以上という信じられない光景が広がっていたのです。

 他部署への異動がほとんどなく、部内ローテーションでそのまま1年ずつスライドしていくうちに、変わらぬメンバーのまま僕は10年以上も「若手」と言われ続けたのです。いつまでたっても部下を持つことができないどころか、5年先も「若手」扱いが変わらないことが容易に予測できる。

 そして、人事制度もまだ「年功序列」が崩れていませんでした。チームやグループ、部課といった組織の正式な長もそうですが、それとは別に人事上の「職階」がどの会社にもあると思います。ある職階(例えば課長代理≒係長)までは横一線でほぼ全員が昇格できたとしても、その先は差がついてくる。

 しかし、その差は完全実力主義ではなく、「その部門に入社年次が上の人間が滞留しているかどうか」に左右される、今の考え方では「理不尽」なものでした。部門に割り当てられた枠に年次が上の人間から当てはめていく、その人が昇格できないと下の人間が「とばっちり」を食う構図です。まさにお盆や連休ピークの高速道路の大渋滞最後尾にはまってしまった世代です。

 20代ではあまり意識しなかった「キャリア」を30代に入って意識し始めたのは、「自分はいつになったら昇格できるのだろうか」という危機感をようやく持ったためです(成果主義はその後「ゆっくりと、慎重に」導入され、結果として僕はほぼ最短で課長レベルに昇格できました)。

 名刺は課長になっても部下はもらえませんでした。上の人たちがそのまま残っているのでポストがないからです。管理職経験が積めなかった僕のキャリアは、その後もボディーブローのように効いてきました。

 

3. 就職に苦労しなかった分、視野が「社内」に限られてしまった

 大会社に楽に就職できてしまった世代は、それが当たり前の「価値観」になってしまいがちです。起業はもとより転職もはなから頭にない。転職どころか、他の会社の人と付き合うことも、忙しいことも相まってほとんどなくなってしまう。独身の頃は寮住まいだったので、生活の場も「カイシャ」のまま。社内が単なるビジネスの場ではなく「コミュニティー」だったので(僕は違いましたが)社内結婚も多く、自分の仕事に関わること以外では「社外」との接点を失った生活になる。

 僕の転機の一つは「自分は社内ではそれなりに通用しているが、それは他の会社でも評価されるものなのか。自社特有のスキルに過ぎないのではないか」「異業種や、サラリーマンではない人たちとの付き合いがないのはまずいのではないか」とボンヤリ考え始めた30代初めです。自分でも「オクテ」と思いますが、定年になるまで(それはそれで幸せとも言えますが)疑問を抱かないまま過ごす人も多く、何か考えても行動には移さない人が大半なのです。恐る恐るではありますが安定したキャリアを自ら破壊し始めた僕は、伝統的大企業コミュニティーの中では変人の部類に入っていきます。

さて、新卒の時点で「就活」の大きな壁にぶつかってきた人たちは、どんな価値観、キャリア観を持っているのでしょうか。バブルおやじには想像しかできない限界がありますが、多少人生経験を重ねている分、客観的な見方も提供できる。次回以降、話はそのときの気分でアチコチに飛ぶかもしれませんが、そんな話にもそろそろ入っていきたいと思います。