北の都で自由気ままな貧乏学生生活を謳歌していた僕も、ついに4年生を迎えます。単位取得の基準が厳しく留年率が異常に高い北大にあって、僕のような不真面目な学生がストレートで4年生までたどり着けたのは、奇跡(20%)か温情(80%)以外の何物でもありません。教養部時代に0点で「可」をくれたロシア語のN先生のお蔭といっていいでしょう
文学部というのはかなり浮世離れした学部で、教授陣がまったく学生の就職に関心がありません(彼らの関心事は自分たちの研究の後を継いでくれる学者候補を見つけることなのです)。学生たちの意識も伝統的にはあまり一般企業に向いておらず、教員やマスコミ志望が多いようでした。そして一般企業に就職してもどうやら離職率が高い。だから、文学部生は企業に歓迎されず、就職は万年氷河期のはずなのに、伝説のバブル期だけは違ったのです。バブルに縁がなかった僕も唯一(そして最大)の恩恵を「空前の売り手市場」から受けたのです。a
3年生の終わりごろになると、R社などから電話帳のように分厚い企業情報誌が大量にDMで送られてきます。「リ○ナビ」登場の遥か昔、卒論が手書きからようやくワープロ専用機(「文豪ミニ」なんてのがありました)へと移行しつつあったイニシエの時代です。
僕は、情報誌に綴じ込まれていた企業宛のハガキを片端から書いて返送しました。後輩をハガキ要員としてタダでこきつかっている連中もいたようです。でも、僕の本音はここにあらず、「マスコミ」「ジャーナリスト」、とりわけ「新聞記者」だったので、(忘れてしまったけれど「何とか」という名目で採用活動解禁前に行われていた)全国紙や通信社の試験を受けましたがあえなく全滅。本気で挑んでいる人はその手の「塾」で徹底対策していたようでしたが、無策で、ただ憧れだけで受験した自分が入社できるわけもない。最近知ったことですが、アナウンサーを目指す人は全都道府県の局を全て順に受けて入れたところにまず入って実績を積みながら「中央」を目指すそうです。僕にはそこまでの「本気」も根性もなかった。何しろ北海道新聞すら受験していなかったのだから。
出遅れた就職活動だったのに、結果を言えば、労せずして3社から内定を得て、面接の感じでいちばん社風がよさそうな製造業のA社に入社、ここで約18年間しっかり働くことになりました。「エントリーシート」などというものを出さなくても勝手に企業から電話がかかってきて面接を依頼されるのだから、今の就活生には信じられないことでしょう。「内定拘束」も経験しました(他の企業の面接に行けないよう、「親睦合宿」や「ディズニーランド招待」などで身柄を押さえられる。他へ行けないよう、羽田空港まで連行されたこともあります)。
今回の記事は「バブル組は苦労を知らない」ことをあえて自らひけらかす形にしましたが、真意はもちろん違います。「世代による損得」を強いている社会の歪みがあることは否定しませんが、自分は、それを承知の上で、異なる視点から後輩たちにエールを送るブログを書いていきたいと思います。
人生トータルで損得勘定はトントンになる、それはキャリアにおいてもあてはまるのです。どこかで得したらその分どこかで損をする。大切なのは、損だ、得だと外部環境のせいにするのではなく、そのときに自分ができることを、自分の頭で考えて行動に移すことです。バブル世代も氷河期世代もゆとり(さとり)世代もそれは同じ。考えて行動している人は自分で道を切り開けるし、受け身の人はその時代の環境に流されるだけ。気付いた時には身動きが取れなくなっているのです。
バブル世代の暗部は「楽に入社した後」にやってきます。僕自身、「何も考えていない20代前半」、「そのツケで苦闘したアラサー時代」を過ごしました。バブル入社だからこその「損」もとことん経験しました。
今40代半ば以降になっているバブル入社世代は、決して幸せなサラリーマン人生を送っていないようです(第一生命経済研究所調査によるグラフ)。いったい、恵まれていたはずの僕たちはどうしてこのようなことになっているのでしょうか。
有名企業に18年間も勤めながら、なぜ僕は40歳で違う道に進むことを選択したのか。第3回以降、いろいろな切り口から自分のキャリア観と、悩んだ末の試行錯誤の道のりを述べていきます。