自分を解放して、のびのびと生きていっていただきたい、と心から応援いたします。
・・・でも、なぜか私には共感しづらい苦しみ。「豊かなのに、幸せじゃない」。そう見えて仕方がありませんでした。
シンガポールの小さな飲食店で働いていると、同僚はそんなに学歴も高くなければ、裕福な家庭の子がいるわけでもありません。給料水準も低いほう。けれど、同僚は限られた給料の中から、祖国の家族にお金を送ったり、お洒落もしますし、たまに海外旅行に出かけたりしています。
両親が居なくて苦労しつつも、正しい心を持って、道を外さず真っ直ぐ育つ人も居ますし、「旦那に殴られた」と頻繁にアザを作って出勤する人もいれば、「家から追い出されて、昨日は空港のロビーで寝た」という人もいれば、「電車代がなくて会社に行けない」と勤務しなくなる人や、お金の問題を抱えて走り回る一方、無給休暇を取りすぎて、毎月給料をまともにもらえない…いつまでたっても悪循環な人もいます。
悪循環が続くタイプは、結局ドタバタするだけうまくいかない場合が多いように見えます。こういう同僚は、職場に多大な迷惑をかけたあと、「ほかに選択肢がない」と結局仕事をやめて転々するのもだいたい予想通り。「本当に苦しいときは、ジタバタせずに、2-3か月まじめに働けば、収入も生活も多少安定するだろうに」と、説明するのですが、「ノーチョイス(仕方がないんです)」と言って、動き回る。極端な事例に見えますが、わりと高頻度でそのような人たちに出会います。
もちろん、会社が好きで、普通に暮らして、長く働いてくれる同僚も大勢います。私は同僚の給料振込のために、銀行口座の名義と口座番号の情報を提出してもらうのですが、(必要ないのに)残高や銀行明細まで提出する人達がいます。「銀行残高が毎月100円」という切羽詰まった生活の一部を見てしまうと、他人事ながら心底ゾッとするものです。「私も貯金ないけど、これは・・・ヤバいんじゃないの!?」と。
私の給与水準は、彼らよりは高く設定されています。
にも関わらず、本気で「私、この人たちに敵わないない」と思うことがあるのです。
例えば、先日、同僚の親が亡くなった時。
普通は有志一人500円とか200円とか、出しても1000円とか、出せる範囲でお香典を出します。私はだいたい生活に無理がない程度で、3000円くらい出します。ところが、毎月の残高が500円しかない同僚
が、「私の気持ち」と5000円出してきたりするので、びっくりです。「本気?無理しなくていいんだよ」と言っても、「いいの。そうしたいの」と。
別な例。先日結婚した若い同僚に、お祝5000円包んだら、その日に彼女は同僚みんなにお菓子を買ってあげていました。「私があげた以上に使ったんじゃないの?」と思うのですが、ニコニコ笑って、「ネバーマイーンド、エンジョーイ!」と、嬉しそうに、みんなをもてなしていました。
ほかに、「宝くじで30万円当たった!」という同僚は、直属のボス達に洋服を買ってプレゼントしていました。翌日、私のロッカーには、美容ドリンクが入っていました。もし私が30万円当たったら・・・「助かったー!次のxx支払に備えて貯金」とか、「この際プラスアルファで子供の口座に貯金」とか、自分の生活のために消えてしまう気がするのです。
同僚の子供は2歳。生まれながらに遺伝子が欠落しており、先日腎臓の摘出手術を行いました。遺伝性ではない小児がんの一種で、シンガポール国内には事例がないとのこと。私は自分に何ができるのだろう、と考えさせられる日々です。「俺は何か悪いことをしたのか?」と言いながらも、気丈に仕事を進める彼には感謝です。同時に、生まれつきの症状だったので、保険が購入できなかったらしく、その莫大な手術費、入院費や治療費は、今、彼の一番の悩みです。政府の公的な補助がなければ、対応はとても無理。どうやったら、世間から助けの募金を集められるんだろう・・・と私ですら考えてしまうくらい。今は集中治療室からほかの病棟に移ったものの、まだ予断を許さない状況で、入院継続中。それでも彼は、(たとえ100円のものであっても)自分のチームメンバーに「連続で休んで申し訳なかった」と、コーヒーを買ったりするんです。
なんというか・・・・・私には思いつかない、思い切ったお金の使い方です。私が守ろうとするものを、彼らは失うことすら恐れていない。それが、純粋に「大事な人のため」という想いが伝わってくるので、そのピュアさに、私はちょっと胸を打たれてしまうのです。
計画性は低いかもしれませんが、彼らのハートを感じます。
生活の安全弁はなさそうに見えますが、彼らの生活はいたってシンプルで、無駄遣いをしている様子も見えません。「実家の家族の治療費を送らなくちゃ」「お金がかかって頭が痛い」と年がら年じゅう言っているくせに、全くもって深く沈み込むような悩み方をしていない、根っからの明るさ。
しっかりしている人は、日常生活がシンプルでも、シンガポールで稼いでいる間に、自分の国に家や農場を買って、将来に向けて投資をしています。
こんな彼らと共に生きていると、日常的に「しょうがない」「死ぬわけじゃないし」「なんとかなるさ」「好きなことをしよう」と、思うことが増えてきて、その反動で、SKⅡのCMが「すっかり忘れていた豊かな悩み」に思えたわけです。
「自分は何をしたいのか、よくわからない」と、人生の迷子になりそうな方々は、全く環境が違う東南アジア各国の同僚と一緒に働いてみるのも良い刺激かもしれません。
Alexの職場にはエリートはいません。仕事が早いシンプルな人たちから学びたい方、ウェルカムです。シンガポール就職に興味がある方は、キャリアメンターネットワークにご連絡くださいませ。
それでは皆様、また来月お会いいたしましょう。