お知らせ
次回の紹介セミナーは、
若手リテンションをメインテーマに 3月8日(木)14時 から東京駅前で開催します。
嵩原弁護士など、本プロジェクトに関わる専門家たちも多数登壇します。
もちろん人間は自らの意思で自分の環境を変えることもできますが、子供時代にはなかなかそういうこともできません。新入社員の頃は世代的特徴が色濃く出がちです。
そこで今後どうなるかまだわからない新入社員の先行きは、すでに結果が出ているそれ以前の世代と比べて、環境の差異分を補正すれば推論しやすいと考えバブル期入社の社員と比べました。
第1回は今の若手もバブル社員と同様に「就活」そして「受け入れ」が極めて甘くなっているという点で類似しており、この二つの世代はメンタリティーが酷似している面があることをご紹介しました。
そして第2回は、そうは言っても四半世紀も前と現代では背景事情はかなり違う面もありますので、その違いについて概観しました。
一つは学校教育(ゆとり)が違うこと、そして大学受験(進学率、合格率)も違うこと、さらに育った時代の経済環境は正反対であること、くわえて転職の容易さや社会的認知が様変わりしていることなどをあげました。
これだけでも「締められた経験がない」若者が多いということは想像できます。経験がないのですから耐性もありません。必然的に壊れやすいでしょう。そして用心深く、かつ情報が豊富で、転職は極めて容易となれば、壊される前に逃げるというのは至って合理的な判断かもしれません。
今回は第3回目としてインターネットとスマホによる影響について考えてみます。
インターネットの出現以降、世の中が様変わりしたことや、それがスマホによってさらに加速していることなどは誰しもが体感していますが、その影響が世代によってかなり違うということについては意外に見過ごされがちです。
インターネット&スマホが世代によってどのような影響を与えるか3つの点から概観します。
一つは社会環境が代わったことによる影響で、これはあまり世代間の差はないかもしれません。前述しましたが、情報量が豊富で、転職がしやすく、さらに、元の職場の情報を発信する側にも回るというバブル世代にはなかった特徴を持っています。
二つ目に、人格形成上の影響という面があります。我々もインターネットから多大なる影響を受けていますが、少なくとも人格形成がされる以前の子供時代には影響を受けていません。
つまり生まれた時からインターネットやスマホが周囲にある環境の中で育った人間のメンタリティがどのようなものかは、それ以前の世代には実感としてよくわからないのです。しかし、よくわからないながらも、これが激変であることは理解できます。
世代間の断層は10年違うと同世代の異国の人と同じぐらい違うそうです。おそらく、明治維新や戦後など社会環境が激変する期間を挟んだ10年は、それ以外の時代と比べて同じ10年でもギャップが大きかったと思いますが、それにしても家族や社会の中で一緒に生活し、同じ情報ソースの中で変化を経験していますので、当然共通の意識が形成される部分が多かったわけです。
例えば終戦を知らせる玉音放送は日本国民全員が等しく同じものを聞きました。もちろん放送を直接聞けた人も聞けなかった人もいるでしょうが、同じソースが繰り返し使われ全国民に浸透していったのです。
昭和30年代40年代は、世論形成の上で新聞は絶大な力を持っていました。ほとんどの人が新聞を読んでいたからです。学校に行けば昨日のテレビ番組の話題で盛り上がりましたが、これもテレビのチャンネル数が少なく、ほとんど同じものを見ていたからです。インプットが同じなのですから似たようなメンタリティに育っていくのは当たり前です。
その後テレビのチャンネル数は増え、雑誌の数も増え、多様化が進みますが、そうは言っても数倍から数十倍に増えた程度で、なおかつ大半の人が選択するものは変わりませんでした。例えば新聞の全国紙は、日経、朝日、読売、毎日、産経が今でも続いています。
これに比べてインターネットは人間の能力から考えて無限の選択肢があると言っても過言ではありません。それぞれが違う情報ソースを持ち、また自分自身が発信することもできますので、一人一人が違うコミュニティに属するという現象が起きてきました。
メンタリティや思考パターンが所属するコミュニティの影響を受けることは自明ですが、人類が誕生してから今日までの大半の期間、人間はたったひとつのコミュニティに所属してきました。
近代社会になってから、職場と地域社会とか、学会やボランティア団体やPTA など複数のコミュニティに属するようになりましたが、それでも影響を受けるほど深く関わりを持つコミュニティは2つか3つで、地理的制約もあります。
ところが今日のインターネットの状況は地理的な制約を受けず、身分や資産といったハードルもなく、数多くのコミュニティに属することができるという人類史上初めての状況なのです。
なおかつ、リアルなコミュニティよりもweb上のコミュニティの方がコミュニケーションの量が多い可能性が高いのです。まだ判断基準の定まらない頃に、膨大な量の情報が流れ込むので非常に染まりやすい(洗脳されやすい)傾向があります。
ネトウヨと呼ばれる過激思想が増えていることは以前から指摘されていますが、右であれ左であれ一つの思想に染まると、集まる情報がそちらに偏りますので急速に染まっていきます。
もちろん、そのような人は昔から居たわけですが、その比率が極端に増えてきた感があります。
3つ目にコミュニケーションスキルの違いがあります。
子供の頃からスマホをいじっているわけですからその扱いに習熟するのは当然です。そしてコミュニケーションツールの扱いが上手く、それをずっと持っているわけですから、インターネットやスマホがなかった時代と比べれば、若者のコミュニケーション量はおそらく桁違いに上がってます。
昔はほぼ対面の時だけしかコミュニケーションを取っていませんし、電話をかけるといっても個人が持っているわけではなく家にある固定電話宛ですから長話もできませんでした。
今はほとんどずっとスマホを手に持ち、暇さえあればYouTubeを見ネットを検索し、LINEかTwitterやインスタグラムなどで受発信を繰り返します。
そしてLINEやTwitterのやり取りは自由にやっているように見えてかなり厳しい掟があります。相手が気に食わないと思えばすぐブロックされますし、とんでもないところから罵詈雑言を浴びることもあります。私など匿名でやっているTwitterではブロックされまくり散々な目に遭っています。
つまり若者は質量ともに、スマホ以前の世代とは比べ物にならないほどコミュニケーショントレーニングを積んでいるのです。
子供の頃から膨大な時間を費やしてトレーニングを積んでいて下手なわけがありません。実際に接してみると彼らのTwitterやLINEの使い方には驚くことが少なくありません。例えば、同じTwitterでも三つも四つもアカウントを持ち、それぞれキャラクターを使い分けているのです。
ところがそのスキルの高さを、企業側のマネージャーやベテランが全く理解していないケースがあります。なぜならば若者の長けているコミュニケーションは自分たちが得意としてきたコミュニケーションと違うからです。ビジネスでは使わないと決めつけているのです。
この問題はこれからますます深刻化します。なぜならばインターネットやスマホは不可逆性の変化であり、もとに戻ることはありえないので、若手を今の(つまりこれまでの)組織のコミュニケーションのやり方に順応させるということは、企業内部と時代とのギャップを広げる結果にしかならないからです。
次回は企業内コミュニケーションとリテンションの関係を概観します。