「まともさ」が問われている
いま日本の社会に欠けているのは人間としての「まともさ」であるような気がしています。「美しい日本」とか「被害者に寄り添う」といった耳触りのよい言葉が今の日本に氾濫しています。そうした耳触りのよさで巧みに選んだ言葉で、本質的な問題から人々の目をそらそうとする空気が日本の社会に拡がっています。こうした言葉だけはなく、さまざまな仕事の現場では指示されたことだけを済ませ、まともな解決には手を出さないという風潮が拡がっています。
いまわれわれに問われているのは、人間としての「まともさ」
「まともさ」が欠けた空気が社会に流れて、病院などの公的機関で起きるはずのないさまざまな事件や問題を巻き起こしています。同時に、それが企業や組織をも衰退や失敗に導いているような不安を感じています。この不安が杞憂に終わることを願っています。そのためにいまわれわれにできることとは、「まとも」に生きるという覚悟をもって自分の仕事を「まとも」に考え、そして「まとも」な仕事を「まとも」に遂行することではないでしょうか。人生、何ごとも『はじまりは坂の途中で』す。