「生きることでなく、よく生きることこそ、何よりも大切にしなければならない」
ソクラテス(プラトンの対話篇より)
私が大学を卒業し社会に出たのは、昭和43年、1968年です。当時は学生運動も盛んでしが、経済成長の余勢もあって何となく方向性が見えているような雰囲気でした。当時と比較すると現在の日本社会の雰囲気は大きく変貌しました。そして、その変化の速さとその規模の大きさは、われわれの若かりし頃とは雲泥の差があります。若い方々にとって人生のさまざまな選択をすることが、われわれの時代に比べると比較にならないほど難しくなっているように思います。
人生のなかで直面する選択のひとつに「キャリアの分岐点」での選択があります。「キャリアの分岐点」とは、現在の仕事をこのまま続けるか、あるいは別な仕事にチャレンジするか、その選択を考えたり悩んだりしている状況です。卒業して2、3年を経ると誰もがこの最初の分岐点(あるいは分岐点らしきもの)にぶつかります。私自身もこれまでにそんな経験を何度かしてきました。そして、大学での仕事を終える来年を迎えるにあたって、あらためて私自身がいま、「キャリアの分岐点」に立っています。
そこで、「キャリアの分岐点」に立ったとき、どのように考え行動すべきか、わが身を振り返り考えてみました。結論を言えば、「自分の心のつぶやきに素直に耳を傾けること」です。自分の心のつぶやきとは、どこからともなく聞こえてくるささやきです。素直に耳を傾けることとは、そうしたささやきをストレートに受け入れて、何らかの行動をとることです。「自分の運命は自分で決める」とよく言われますが、決して大仰なことをするわけではなく、「自分の心のつぶやきに素直に耳を傾けること」にいつも正面からまじめに取り組むことだと考えています。
例えば、いまの仕事をこのまま進めていくべきだと思っていても、このままでいいのかという小さなささやきが聞こえてくることがあります。あるいは、自分は別な仕事を選ぶべきではないかというはっきりしたつぶやきが聞こえることもあります。その際に大切なことは、実際に何らかの行動をとることです。
同じ仕事をしている先輩のなかの「ほんもの」といわれる人を探し出して、実際にその人の仕事ぶりを見ることです。「ほんもの」とは、その仕事の本質とは何かを自覚して体内化している人です。そういう人の振る舞いは、われわれの直感にひびく「何かピンとくるもの」があります。そうした人たちと出会い、直接話を聞いたり議論したりすると、将来の自分の仕事や生き方のイメージが、たとえおぼろげながらでも見えてきます。
私自身振り返ってみると、これまで幾度となく「キャリアの分岐点」に直面してきました。そうした経験をするなかで、「『ほんもの』を自分の眼で直接見ること」と「『ほんもの』の仕事の本当の姿(意味)を感じること」の二つがいかに大切かを学びました。
同時に「ほんもの」との出会いがあったこと、そして、そうした出会いの場で「ほんもの」といわれる人々の支援や導きをいただいた幸運を感謝しています。若い世代の方々にとっても、こうした場や機会に積極的に参加していくことこそが、「(ただ)生きるのではなく『(よく)生きること(well-being)』」の実現につながるのではないでしょうか。