当然のことですがそろって全員70才、中学校を卒業して55年、これからもGO GOという懐かしさいっぱいのとても楽しい会でした。同期生が310人、そのうち50余名が集まりました。わざわざ米国から帰国して参加した女性もいました。
10年ほど前にやはり同じ場所で同窓会がありました。しかし今回の雰囲気は前回とはだいぶ違っていました。前回はほとんど全員が現役でした。さまざまな組織や企業の管理職として、あるいは弁護士や弁理士、医師、栄養士、教師といった専門職としてバリバリと活躍していました。今回はほとんどのメンバーが既に引退し、人生に一区切りをつけたという達成感に溢れるような雰囲気でした。
恒例によって一人ひとりの近況を報告するということになりました。われわれの同窓会ではどこでも三大話があります。まずは自分の健康の話、親の介護の話、そして孫の話です。大手術や癌の治療からの生還の話を聞くと、本当によく頑張ったという感嘆の声があがります。親の介護の話はだれにも現実の問題です。伴侶の看護や介護をしているという話もあります。孫の話となると、急に元気になる人がたくさんいます。
なかでもS君の話が印象に残りました。われわれの世代では父親が戦死したりあるいは抑留されその地で亡くなったりして、母親の手ひとつで生活していた家庭が多いのです。S君もその一人でした。中学時代、彼は成績優秀者としてその名を馳せていました。彼がひたむきに勉強していたことを誰もが知っていました。そして誰もが予想していたように、彼はわが国のトップの大学に進学し、大企業のリーダーのひとりとして活躍してきました。彼は、自分を苦労して育ててくれた母親が97歳で今年亡くなったこと、そして母親に対する感謝の言葉を淡々と語ってくれました。そしてその母を最期までしっかりと自分の手で世話ができたことをとても誇らしく話してくれました。
S君の話は、われわれの心のなかに静かな共感を生みました。それはわれわれの頭から「戦後」という言葉が消えてもよい時代にようやくたどり着いたというある種の安堵感のようなものでした。このある種の安堵感のようなものとは、戦後の何もない時代からわれわれを支え育んでくれた両親たちへの感謝と、さまざまな境遇の生徒たちを新たな時代に向けて送り出すという情熱に満ち満ちていた当時の教師たちへの感恩と、今日まで生き抜いてきた自分たち仲間が55年を経てここにいるという感動とが入り混じったものでした。