私自身、学生を終えて最初に入った会社の同期が、「人生最後の同期」でしたね。入社年次の関係は薄いものの、今でも宝物なのは、その会社でお世話になった方々とのご縁。ブログを書かせていただいている経緯も、大事なご縁のひとつです。入社当時から地に足がついていなかった私は、まじめに長時間取り組むことが「一生懸命働くこと」だと勘違いしていましたし、生産性も低ければ、要領も悪いし、地雷は踏みがち。どうしようもない私を、温かく見守り、面倒を見ていただき、上司や諸先輩方の度量に甘えつつ、勉強させていただきました。今もいろんな場面で心の支えになっています。
入社当時は、以降20年続くご縁になるとは知らず、毎日、先輩がアドバイスしてくださることも怒られているように感じるし、何に許可が必要で、何が勝手なことなのかがわからず、でも愚痴を言うのも嫌だし、おろおろしながら「新しいカルチャーに馴染まなくては」と過ごしていました。
入社時に、大学の先輩から頂いて、一番ためになったアドバイス。
知り合いから「大学院を修了しても、最初はコピーを取るとか、お茶入れて、とか言われてまったく無能に扱われるけど、そこでがっかりしないことだね」
まさに、その通りでした。
30代半ばでシンガポールに来た当初も、そうだった気がします。もがくし、苦しいけど、頑張りの歯車が合っていない。私は現地で採用されたスタッフです。でも、当面日本企業の場合、どれだけ現地を知って仕事を頑張っても「駐在員」にかなわない点があります。駐在員とは、本社の構造を知っていて、人的なネットワークを持っている。または間接的に助けを求められるので、会社を動かすことができる立場なのです。日系企業の場合、例えばメーカーや金融、商社など大きな会社では、駐在員から露骨に神と石くらいの差を毎日見せつけられ、嫌な思いをすることもあります。
そういう組織で上手にやっていける人は、こういう状況にガッカリしません。「そういうもんなんだー。でも、自分は自分」と受け入れられた人のほうが、しなやかにしたたかに生きているように見えます。
私は、自分の向上心の高さ、責任感の強さが災いして、気持ちを消化することができませんでした。ガッカリし続けて、裏切られて、傷づけられて、でもあきらめるのも嫌なまま7年。
負け犬のまま、とっとと日本に帰ればよかったのに。
今でもそう思うこともあります。でも、なぜかできなかった。
当時、自分の人生の中心は仕事で、それがうまく進まないことで失った自信。でも、数年かけて考える。仕事の出会い(上司運)、という一点を除いては、シンガポール生活はうまく進んでいたような気がします。
「神様、あとひとつだけ。私の人生で重要な仕事だけ、幸せになりたいんです」
そしてやっと「自分に居心地の良い場所」は、「自分で物事を決められる場所」、と発見し、ありがたくも、今は小さいながらもそういう場所で仕事をさせていただいています。「自分の存在意義」とか「社内での関係性」「いつも誰かに否定され、何をしたらいいのかがわからない」というストレスはありません。純粋に、会社が直面する課題に集中して頭を悩ませることができます。幸せな環境です。ボスには大感謝。
今月は、新店舗の開店を控えています。昨日、一番大切な役所の審査を無事通過。週明けから営業許可が下りました。今回は若干ややこしい手続きがあるので、今からまた店に行って、システム関係者と業務を調整してきます。シンガポールでのお店の出店にかかわるのは、これで8件目。今の会社で3年、ゼロからチームも育ててきたので、開店プロジェクトには、老若男女を問わず、「信頼できる」「手が早い」「緊張感を和ませられる笑顔多いスタッフ」など、組み合わせて先鋭スタッフをピックアップ。自分の経験値があがり、人選もできるし、スタッフがそれにあわせて自主的に貢献してくれるおかげで、今回の開店は、今までで一番楽です。みんなのおかげで、また一つ自信を積み上げることができた気がします。
充実した仕事観をもちつつ、卒業の時期を視野にいれている昨今。今の会社は生活基盤の確保のために維持しつつ、最後の階段は、自分の会社で人生最後のキャリアの船出をすること。そのために、一つ一つの成功、失敗の学びを、自分の力に。たぶん今はおのずと「その日」のための、いい準備体験をしているように思います。会社が嫌いでやめるのではなく、自分の人生を生きるために、ね。
さて、開店まで残り4日。今日のシンガポールは祝日ですが、最後の調整をしに、これからお店に出かけてきます。
それでは皆様、また来月お会いいたしましょう。