1.コミュニケーションに対する疑問
コミュニケーションは、人間が社会生活を営む上で必要となる、知覚・思考・感情の伝達・授受といったものとされています。
しかし、トレーニングや資格取得等で示される「コミュニケーションスキル」では1対1の人間が、共通の背景を持ち、同等の知識レベルで、同一の言葉を使い、共通の目的に向かって「話す」ことを目的していることが多く、コミュニケーション上必要となる要素が過少に示されているというか、技として身に着けることができるスキルという意味において、トレーニングの有効性が過剰に拡大解釈されているように感じます。
2.サラリーマン時代のコミュニケーション
私自身、サラリーマン時代のコミュニケーションは上手とは言えないものでした。特に、近い年齢、近い年代とは会話の内容、ペースが合わせられず難儀したものです。
20歳以上離れた社会人と仕事の話をする時が一番ほっとする、緊張感のある時間でした。
さて、サラリーマン時代のコミュニケーションですが、一般的に仕事の時のコミュニケーションで考えると、必要となる「コミュニケーション」は提案と承認、業務遂行と確認(チェック)のような行為の繰り返しです。
仕事がうまくいかないと感じる場合、大体、この繰り返しのどこかに滞留が起きていることが多いわけですが、それをスムーズに進めることが「コミュニケーションスキル」ではないかと考えるわけです。
作業提案が通じていない、相手の希望が確認できない、提案した内容が承認されない、業務の進め方が上司の希望と違う、確認される基準が事前に共有されていない等の齟齬が存在することで、結果として「コミュニケーションがとれていない」という当事者同士の感覚(不満・不安・不信・葛藤等)だけが共有されているということになります。
更に良くないのが、目的が共有されていない(シンパシーの無い)状況の下で、各人がバラバラに改善策を考え、加えて、世の中で言われる「コミュニケーションスキル(目を見て話すとか、耳を傾けるとか、相槌を打つとかいう所作)」を用いて状況を改善しようなどと考えてたところで、傷口を更に開くことになってしまいます。
結果として、過去に活用を検討した様々な「コミュニケーション」関連のトレーニングは、狭い対象者を相手に、話しが上手にできない時にだけ使える小手先の技である恐れがあると考えるのです。
3.人事職の頃に考えていたコミュニケーション
仕事をする上で「饒舌に話せること」や「場を盛り上げること」が、本当に必要なのか?ということは、いつも気になっていました。
例えば、中途採用で考えますと・・・
人材採用をしている側として、経験者採用をする際に、「コミュニケーションスキル」は重要なポイントではありません。
面接の際に確認しているのは、コミュニケーションの技を持っているかどうかではなく、こちらの質問に適切に答える「コミュニケーション」ができているのかを知りたいわけです。
日本語で問い、日本語の回答が欲しいだけだったりします。それは、採用をする上で、上司となる社員もコミュニケーションに長けているかどうかは配属先によって異なりますし、人事異動があれば採用時点での基準とは別の基準で評価し、組織に属して頂くことになります。
「コミュニケーション」における「話せる技」というものは、「仕事で成果を出せる」ために必要となる「コミュニケーションスキル」のごくごく一部を構成する「聞く&話す」という位置づけになります。
では、新卒採用や第二新卒採用で考えるとどうなるでしょう・・・
新卒クラスの採用をしていると、新卒人材の紹介会社や、学生支援をする企業や団体から必ず「この学生はコミュニケーションスキルが高いです」とか紹介されます。
先に書いたように、それなりの素養があり、教養があり、マナーがしっかりしていて、目を見て話せるようになって、ようやく共感(シンパシー)が生まれて、「お話しをする気持ちになる」わけですが、そんなことお構いなしに「お話しができます」という人間を紹介されても、ほとんど興味を持つことはありません。
その程度のスキルは、面接官と出身校が一緒とか、専攻が一緒、部活やクラブが一緒、親族が社内に居るようなことだけで乗り越えられる程度の技ではないかと思うわけです。引き出しの多さと使うタイミングの上手さと置き換えてもいいかもしれません。
ちなみに、エンジニアなどの専門職を採用をしていた時は、中途採用でも新卒採用でも、一般的に無口と言われる人材でも積極的に採用していました。
コミュニケーションは口数では代替できないなというのが正直な感想です。