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ルールブック

心に「しなやかを」を 2017/07/29(土) 04:29

 

 

 

あなたの「ルールブック」には何が書いていますか?

最近、気温が高くなって夕立などあると不快指数が高くなりますね。そのせいなのか通勤ラッシュの時に乗客同士のいざこざをよく見かけます。

 

 

 

ルールーブック

私たちにとって通勤列車の中は、スリや置き引きの危険だけでなく、女性の場合は痴漢に襲われるリスクがあります。男性の場合には痴漢の犯人に仕立てあげられるというリスクも非常に高くなっていて、結構危険な空間となってしいます。

乗客同士のいざこざについてよく見てみると、多くの場合、普通のサラリーマンの男性同士が声を上げてやりやっています。そんなに危ない人とは見えないのですが、感情が「いってしまっている!」のです。

周りからも多くの視線を集めていますが、まるで荒野で2人だけが対峙したような世界で言い合っているかのようです。何やら「謝れ!」とか「あんたが勝手に動いてぶつかった」とか。満員電車ですから揺れれば人同士がぶつかることは当たり前だと思うのですが、大の大人が2人で怒鳴りあうのもどうかと思いますが・・・。
このような事件が朝夕と同じ日に2度も起こると流石に「最近はどうしたのだろうか?」と老婆心ながら考えてしまいます。
 
以前にも「怒り」とその対処法について書きましたが、今回はちょっと切り口を変えてみたいと思います。

もともと「怒り」は、「他者や周りの状況を変えたい」という本能的な欲求から発生しています。子供が泣くことで注目を集め、怒ることで自分の思う通りに物事を進めさせようとします。そして、自分の思い通りに行かないとますます怒りを大きくするわけです。
簡単に言えば「怒りは、自分の思い通りに行かせたいという強い表れ」ということです。これに従えば、怒っている人に対しては「あなたはどうしたいの?」とお母さんが言うように聞いてあげるというのが正しい対処法かもしれません。しかし、いい大人に対してこれはとてもできることではありません。でも自分に対しては是非やってみてください。
私は、カチンと来たとき自分自身に対して「何がしたいの?どうしたいの?」と母親のように聞くようにしています。その回答を見つけですことが目的ではなく「ああ、自分は今甘えているな」と自覚するためにその質問をするようにしています。すると怒りの感情が冷えていきます。

ルールーブック

また、「怒り」はあまり理論的に考えられて起こるものではありません。むしろ本能的・感情的に発生するということです。ですので、冷静な周りの人からみれば、不合理で、理屈に合わないことも多々あり、理解できないこともあります。

しかし、無秩序に怒りが発生するのではありません。実は本人の一定のルールに基づいて怒りは発生します。ただ、そのルールを周り人たちや本人すら理解していないということがあります。そのため「あいつは何で怒ってる?」ということになります。さらには本人ですら「なんで感情的になってしまったのだろう?」ということすらあります。

パジャマに着替え、自分の着ていたものを洗濯籠に入れないでその場に置いていたところ、奥さん(母親)に「こんなところに洗濯物を置きっぱなしにして!」と言われことはありませんか。その時あなたが「後で持って行こう思ったのに」とでも言おうものなら、「いつもそうじゃない。言うだけなんだから!」と強い調子で手痛いしっぺ返しをもらったことはないですか。
この時、彼女が怒った理由は「洗濯物を放置して不衛生」だからでしょうか。「我家では洗濯物は洗濯籠に入れるルールがある。そのルール違反したあなた」に反応したのでしょうか。また、「過ちを犯したあなたが言い訳じみたことを言った」からなのでしょうか。
でもこの程度の理由なら、そんなに怒らなくてもいいだろうと考えてしまいます。しかし、奥さんが「不潔なことは大嫌いな私のことを十分わかっているはずなのに、言い訳までして、私の事を気遣わない!」と奥さんが考えたなら、私はアウトです。
この奥さんは「夫婦はお互いをいたわり、気遣いをするのが当然」と常識として考えているので、私は「奥さんをいたわらない酷い人間」として激怒されたわけです。

本人がこのルール違反を感じた瞬間に「カチン」と身体や口が反応してしまっているのです。

この反応は、本人ですら「なんであんな強い調子で言ってしまったのだろうか?」というような自分自身の反応に驚くことすらあります。

この反応の仕方は、英語圏では「ホットボタン」と言われ、私は「地雷を踏んだ反応」と呼んでいます。1980年後半の映画のバック・トゥ・ザ・フューチャーの主人公が「チキン(臆病者)」と言われたときに見境なく反撃するのと同じものです。
この反応は他者から見るとなんだかバカバカしいものに見えます。しかし、本人にとっては極めて当たり前のものです。ただ、考えるより先に反応してしまいます。

冒頭の通勤列車の中のサラリーマンも他者に自分の地雷を踏まれたのでしょう。そして、その過剰な反応に対して、また対面した人が否定的な反応をするという負のスパイラル(売り言葉に買い言葉)に二人で陥ったのでしょう。

人は誰もがこのように過剰とも言える反応をしてしまう「ルールブック」を持っています。これはアーロンベック(アメリカの著名な心理学者)の言葉ですが、意味のイメージは「犯してはならないルール」「許すことができない(私の)こだわり」「一線を越えてはならない(私の)流儀」と表現した方が私はしっくりきます。

このルールブックの中身の例としてよくあるのは、「上司は自分より有能であるはず」「男は~あるべし。女は~あるべし」「子供は親に従うのは当たり前」「(私の)正義は常に正しい」「愛する人に尽くすことは当然」「家族に隠し事をしてはならない」というようにたくさんあります。経験的に「~すべき」とか「~は常識」という固定観念がルールブックの内容となることが多いようです。

どれも文章に書き出してしまえば他愛のないことが多く、一概に悪いものばかりではありません。注意しなければならない点は、ルールブックは自分の生育過程でできており、多くが無意識化されているということです。

無意識ですので当人は修正したり対処することが難しいものです。したがって、これを放置してしまっておくと、思わぬところで大損することもあります。そのようなことが無いように自分の「地雷」はつかんでおきたいものです。

その方法は、上記のような「カチン」と来たときに無意識の尻尾をつかむことです。その瞬間は「カチンときたら3つ数える」という方法でクールダウンするしかありません。人と対話しているときはわざと咳をするという方法も良いかもしれません。そうすれば相手は待ってくれますから。

これらは瞬間の対処方法ですが、対処能力そのものを高めるためには、そのあとが大事です。

まず、そのためには「カチン」ときた原因を自分で明確にする必要があります。日記のようにその日のうちに文章で書きながら振り返ると整理がしやすいでしょう。「いったい自分は何に怒ったのか?」「何が自分を突き動かしたのか?」「何が自分は嫌だったのか?」これらの質問を自分に何度か問い直してみると「たぶん、こんな考えが自分にあるのかも」「自分はこれが嫌だった」というものを見つけ出せることでしょう。

この怒りの源泉が分かれば、この考えは消えませんが、少しだけ「カチン」と来たときに自分に対象能力が備わってきます。そして、この振り返りを何度か繰り返していくと、徐々に視野が広くなって周りの見え方も変わっていきます。